「応援行為」という言葉について

オタク,雑記

どうも

「応援行為」という言葉について疑問を持ったのでつらつら書いていこうと思います。

 

応援するためにライブに行くわけじゃない

これはあくまで持論だが、僕は応援するためにライブに行くことはほぼないと言って良いだろう。

というのも応援というのは在宅でも可能であるからだ。

応援というのは基本的にその人の助けになることを指すことである。
在宅でもグッズとか買って売り上げに貢献できるならそれは応援になるし、病みツイートに励ましのリプを送るのも応援と言えるだろう。

僕のようにブログで「このグループ良い」と宣伝するのも応援の一種になるだろう。

 

だが、現場はどうだろう。金を払ってライブハウスやホールに入るまでは応援かもしれない。だが、ふっふーふわふわだろうがはいせーのだが家虎だろうが、コールをした時点で演者への邪魔になるのだ。

実際にオタクがコールしている中で歌ってみればわかるだろうが、すごいリズムがとりずらい。これはコールするオタクと演者には物理的距離があり、距離があればあるほど音には遅延が発生する。

また、音に合わせてリウムを振るのも光の速度と音の速度は異なるので、演者からするとずれたタイミングで動くので視覚からもオタクはリズムを奪っている。

そして何よりもオタクはキモい。同じ空間にこんなキモイ物体がうじゃうじゃいるのにパフォーマンスに集中できるわけがない。

以上からライブの現地参戦とは応援とは程遠い行為なのだ。

それを踏まえたうえで言いたいのは、そのキモいオタクも含めて「ライブ」なのだ。「応援」という気持ちは関係ない。

 

そう俺はライブ、その空間の一部になり、楽しむためにライブに行くのだ

 

ライブに行くことで成り立つ応援

もちろん例外が存在する。

ライブに参戦することを応援と呼ぶ層にはあまり関係ない話ですが、
ネットや実店舗ではグッズが買えず、現地でないと資金的な助けになれない演者も一部存在する。

つまり地下アイドルや地底アイドルの話です。

彼女たちの資金源はほぼ現場でお金を落とす人たちから得ているといっても過言ではない。

 

そういう人たちにとって現場のオタクはとても重要であり、地下のオタクで在宅というのは致命的であることを肝に銘じてほしい。

 

オタクは前提としてキモい

オタクはオタク。一般男性にはなれない。

しかし何を勘違いしてかまともぶっているオタクが一定数存在する。

けど結局はオタクだ。

休日ぐらい頭空っぽにして好きなように楽しんで、終演後はオタクで集まって「たのちたのち」って言いながら酒飲んでツイッターでイキっとけばいい

それ以上求めてもストレスためるだけ。敏感になりすぎたり、期待しすぎてもなんもいい事ないよ。

 

さいごに

運営があれこれ禁止する現場には興味ないですが、

そういう所で禁止事項を行うオタクがいて終演後ツイッターでオタクがあーだこーだ言うのもライブの一部として考えると娯楽が増えて楽しいよ

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